節分会
二月三日、当山の豆撒き式が三年ぶりに行われました。ここ数年、当山のみでの護摩厳修に留まり、何度も試みようとは思いましたが、コロナの状況からなかなか再開できず、やっと今年の節分は以前の活気を戻すことが出来ました。
御法話の後、住職導師の下、僧侶の方々の太鼓と共の読経により、護摩札が御加持され、重みのある護摩会となりました。その後豆撒き式が行われ、裃を身に付け参加して下さった方々によりお菓子やお餅、カップラーメンなどが撒かれ、参詣者の方々に福を分けて頂きました。ご奉納頂いたお野菜や、いちごなども『当たり』としてお持ち帰り頂き、ご来山者の方々の沢山の笑顔を拝見することが出来て嬉しかったです。
豆撒き式にはどなた様でもご参加頂けますので、一つの経験また記念として是非ご参加して頂けたら、蓮花寺の豆撒き式がより身近で盛大なものになると思います。来年は皆様のご参加をお待ちしています。
盛花
能登地震
元旦の昼過ぎ、御守の授与を行っていると、本堂から「地震です!建物から離れてください!」と境内に叫ぶ住職の声が聞こえました。私は歩いていてあまり実感はありませんでしたが、本堂内の幢幡は物凄く大きく左右に揺れていました。境内の参拝者も灯篭などから離れ様子を見ていましたが、「どこかで大きな地震があったかもしれない・・・東日本の時もこうだった」住職の勘は的中、ニュースを見ると大変なことに。
主人の実家は石川県、90代の義理の祖母も能登にいます。すぐに連絡を取り無事は確認したものの、能登の家は手が付けられない程だそうです。未だに断水で施設の義祖母は通れる道を通って(普段の3倍は時間が掛かる)義理の両親の家に戻らざるを得なくなってしまったそうです。久しぶりにテレビ電話で話した義理の両親は疲れた表情で生活の大変さが感じられました。
ニュースなどでボランティアをしている人達の話を聞くと、自分自身が東日本大震災や阪神淡路大震災などの経験者が多く、口を揃えて「あの時大変だったけどボランティアの人たちに助けてもらったから自分も助けてあげたい」と言っ
ています。その思いは強く、迷いもなく直ぐに行動している姿を見て自分の無力さを感じると共に、この仕事をしていて多くの悲しみの場面に立ち会うけれど、その悲しみに自分はどれだけ寄り添えるのだろうと自問自答しながらいましたが、それはおこがましい考えだったなと反省しました。
今回被災された方々にお見舞いを申し上げますと共に、一日も早い復興をお祈りいたします。
盛花
消火栓新設
昨年は関東大震災より丁度百年目の年でした。
それに伴いこの度、境内に設置してある消火栓を非常時に備え改修し、新たに庫裡の側面にも消火栓を設置しました。
天変地異は何時襲って来るか分かりませんが、(備え有れば憂い無し)と謂われますので念の為。
防災の日は訓練を実施しようと思っています。
オムツ交換
ある日の事、赤ちゃん連れの女性が受付に見え、「オムツを変える場所はありますか?」と聞かれ、「休憩室ではだめでしょうか?」と即答してしまいました。周りに誰も居なければいいのかなという安易な感覚でしたが、現在の社会では些か首を傾けられてしまう返答のようでした。赤ちゃんの人権や親御さんの心労を温かく寄り添う気持ちは不特定多数の檀信徒の方を迎える側として、必要不可欠の心構えと思い反省致しました。
対応出来る術として考えついたのは、パーテーションで囲いのプライバシーを守るスペースを作る事と思い、現在製作中です。
遅くなりましたが、今後ご利用頂ければ幸いです。
樹木葬
お墓の形態が多種多様に変化をしております現代社会において、当山に於きましても、少子高齢化社会などの、次世代を見据えながら、樹木葬の計画をし、工事を進めて参りましたが、この程魔事無く三月末に完成の運びとなりました。
十年一昔という言葉がございますが、古きを思い起こしますと詰まされる感慨深いものがありますが、今後の社会ニーズの一役になれば幸に存じます。
画像は、完成想像画です。数多くの植物が植えられ、緑豊かな園となりそうです。
マジ
「マジですか」というフレーズは近年若年層から高齢者迄日常茶飯事に使用される言葉になっております。「本当ですか」という同義語と思いますが、漢字では「真面」と書くのでしょうか?
さて、その「マジ」という言葉の如く、仏事の中の例として代行葬儀という契約が有る様です。生前中にその契約を葬儀社に委託しておけば、遺族の立ち会い無しで葬儀を執り行い、その様子をご遺族に映像や写真などに収めてご遺族に渡し報告する様です。「代理墓参」も有れば「代理葬儀」もあり得る事に「マジ?」と思いました。此の様な内容には些か「マジ」が「マジ」合わない気がしますが、社会現象が著しく変化をすれば、言葉の世界もマジ変化していきますね。